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白根切(白内切)
予備調査
緊急報告書





探索員



新生児3世
(単独)






新生児コメント



幕末の時期。
一夜にして消滅した村があった。


●●町の奥深く、
隠れ住んだ切支丹の家族達。

激しい弾圧の最終地点は
村の完全壊滅、
全ての切支丹家族(12家族)は
一人残さず、
根絶やし(斬首)にされたとの事・・・


あまりにも悲惨で
悲しい場所が現実に
存在していた・・・







男岩鬼蔵様のメールより
一部、抜粋。




また、以前にも紹介したことがあるのですが、
(●●町?)の奥にある、
幕末に村人全員が殺されて「千人塚」というところに
家族単位で埋められ、
村ごと焼き払われた
「臼根切」
という隠れキリシタンの村の跡、
是非調査してほしいですね。


山の林の中には、
段々畑の跡などが残っているそうです。
近くの地域には、その村の焼け跡から持ち出された
焼けこげた仏像などがあり、
悲惨な歴史を感じさせてくれます。

夏休みにの観光もかねて
行かれるとよろしいかと思います。


ただ、千人塚の辺りは放牧地になっているので、
牛とその糞には気を付けないと結構悲惨です。
昔父親に連れられて行ったとき、
牛のせいで結構恐ろしい目にあいました。


 





熊本日日新聞2002/6/27
コラムより全文




一時期雑誌やインターネット、テレビで
青森県の「杉沢村」という廃村が話題になった。

同村は村人が虐殺され、
村全体が消滅。

「村の跡を訪ねたら帰れない」
といううわさが飛び交い、
杉沢村を探す企画が雑誌やテレビでも
組まれた。

県内にも謎を残しながら
一夜にして全滅した集落がある。


阿蘇郡●●町。

江戸末期まで、同町の山間部に
「白内切(うすねぎり)」
と呼ばれる集落があった。

集落には十二家族が住んでいたと考えられるが、
隠れキリシタンの嫌疑をかけられて処刑され、
村が全滅したといわれる。


村人が虐殺された丘には十二個の
塚が残り、
今は「千人塚」と
呼ばれている。


白内切の集落が存在し、
江戸末期に姿を消したことは、
寺の記録などから確認
できるという。


「村があったことも、
そして、一夜にして消滅したことも事実」と、
大分県●●市の開業医、
K氏(63)。

K氏は三年以上の期間を費やし、
白内切について調査。
「肥後細川幕末秘聞」
(講談社刊、絶版)
にまとめた。

ただ事件については、一切公文書に
記されておらず、
「なぜ村が消えたのかについては、
状況証拠しかない」と言う。



K氏の著書には、
丘南側の谷間にある村人たちの田畑は
今も耕作されているが、

「農家は物の怪に襲われぬよう、
夕暮れ前に農作業を止めて帰宅する」

「夫が病気で亡くなったのは、
この田畑を耕作したためと信じている
お年寄りがいる」との記述もある。




夕方六時半過ぎに一度訪れようと
した時、道を尋ねた農家の男性に

「この時間から行かんがよか。
朝がよか」
と忠告を受けた。


気味に悪さを抱きながら、
翌日白内切を訪れた。

放牧中に牛を避けながら
牧草地を三百mほど歩いた所に
白内切はあった。


丘は静まりかえり、
時折鳥の声が聞こえるだけ。

虐殺があったという丘には、
夏草がひざの高さまで生い茂り、
塚を確認することはできなかった。


この場所では、牛の放牧も
行われていないという。


日本の近代化がやがて始まろうと
する時期、
謎を残し村は消えた。













本格調査に向け、
なんとか場所の特定をと思い
やって来た深山の温泉地。

かなりの苦労は覚悟していたのだが、
何とも呆気なく表示板が見つかった!







分り難い場所と聞いていたし、
現地聞き込みしか見つかる道は
無いと思っていたのだが・・・







途中までは案内の道標があったのだが、
進むに連れて、どんどん深山に
入っていった。

道標も途中から無くなって・・・(不安)







結局、農作業中のお爺さんから
臼根切りまでの道を教わった。

しかもゲートに突き当たり、
道もガタガタ道だし・・・







〜牛の放牧中、あとぜきをお願いします〜

何とも厳重な雰囲気・・・・

案内板から考えて、
このギャップは何なのだろうか??







ゲートから一山超えると、
遥か向こうに案内板らしきものが
見えていた。(まさか!あそこなの?)







車は4WD車しか登れそうにない状況。
あきらめて、てくてくと丘を自力で登る破目に(汗)

それにしても、隠れ里にふさわしい
深山の山と谷だ。







鬼蔵さんのメールに書かれていた様に
いたる所に牛の糞が。。(アー)

乾燥していたので、
思いっきり踏みながら登っていった。







ここで惨殺が現実に行われたとは・・・

麗らかな雰囲気とは
かけ離れた、昔の修羅場・・・







やっと丘を登りつめた。

しかし待っていたのは鉄条網、
・・・又や、放牧中。(苦笑)

あの案内板から考えて、
このギャップは・・・?
だったら案内板を出す必用が
あるのだろうか??






やはり場所はここで良かったみたいだ。
夏の昼間と言うのに、
張りつめた風船の様な空気が
辺りを包み込んでいる・・・

重いと言うより、
張りつめた空気なのだ。







・・・・・言葉もなし

単独では長居出来る場所では無かった。







千人塚(12塚)が
あるハズなのだが、
恐らく、夏草に埋もれてしまっているのだろう。







献花の跡が見られた。
塚は近いのだろうが、
この撮影で限界だった。

次回、本格調査の時に
塚の発見まで行けるかな??

ここに居た時間は
ほんの2〜3分だっただろう。

一夜にして皆殺しにされた村は、
確かに存在していた・・・・




白根切本調査レポート
へ続く・・・






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